EVERYBODY KNOWS THIS IS NOWHERE

Neil Young


久々のROCK AND ROLL CONTENTS の更新という訳ですが・・・。

 今時、ニール・ヤングの名前を聞いてそそる人間がいるだろうか・・・どうせなら今でも何故か売れちゃうクラプトンとか、マニア受けにデラボニかカウボーイでもやらりゃーいいのに(思いつき)。しかしそもそも、クラプトンの場合強烈な個性があるわけじゃなし、歌が上手いわけじゃなし、とんでもない作曲能力あるわけでもなし、でも新譜が出れば一応買っとこかーと私もなるのは長年のお付き合いせいか。。やはり一芸秀でているというのは素晴らしい事です。て、E・Cの話じゃなくて、ニール・ヤングでした。

 昔は、その楽曲群を通じてその人間にどっぷり浸かってしまうという程、個性の強いミュージシャンが多かったような気するなあ。今より、情報の伝達が遅くて本人達もマスコミを嫌っててインタビューが嫌い、写真取られるのが嫌いだとか云って(ポピュラー音楽なのに)、余計にカリスマ性がでたりして、で「アーティスト」なんて呼ばれて若モンの憧れになった時代がありました。まるで山頭火の句「まっすぐな道寂しい」を深読みして深読みして、やっと面白いという世界でしょうか。(笑)

 
ニール・ヤングを初めて聞いたのは何時だったのだろう。大昔のことでおぼろげですが、中学生の修学旅行で奈良の鹿にせんべいを遣ったその近くの宿で、持っていったラジオで深夜「Tell me why」が流れて、隣で寝ていた米山に「おい、聞け」とか云ったのを覚えている。または給食の時間に放送部がかけるBGMに「ヘルプレス」をかけさせてスベったような記憶も。

 
Time Fades Away    1973 
 商業的に大成功を収めた「ハーヴェスト」の後、とんでもない構成のサントラの「ジャーニー・スルー・ザ・パスト」を出して、その次はライヴ・レコーディングだありながら全て未発表の新曲の、この邦題「時は消え去りて」が出る。
 当時は成功すると次作へのプレシャーでつぶれるか、ひねくれるかどちらかっだった、というか、最初のひねくれた男がニール・ヤングだったかも知れない。潰れた代表例が「イーグルス」かな。
 売れることが何故悪いのか、「ハーヴェスト」は特に売る事を目的に作られたと思わないし、「アフター〜」同様トータルで優れたアルバムだった。また別なサウンドでも良いから、もうちょっと丁寧なアルバムを、1.2枚作って欲しかった様な気がするのだが、このオッサンはひねくれるだけひねくれた。
 まあ、しかしこの異色ライブも個人的には好きな1枚です。

年をとって、最近ではヒット・チューンを収めたしんどいライブを年中出すようになったオッサンですが、それはそれで訳有りなんだと長年の付き合いのファンは思うことでしょう。また若いファンはそこから始まっているようですが・・・。バックはストレイ・ゲイターズ。「ハーヴェスト」と同じ面子だからまだ良かったのかな。後年のクレージー・ホースとのとにかく力でこいのLIVEは私はちょっとしんどい・・かな。

ジャケットもビッグになったニール・ヤングに期待するオーディエンスとそれにぎりぎりの線で答える雰囲気が出ています。ドント・ビー・ディナイド、ザ・ブリッジなど全曲にまだヤングのソングライターとしての才能は保たれています。


 このオッサンのお陰に間違った方向(日々のせーかつが)へ進んでいったような気がしないでもない。
「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」が出たのが1970年ということは、当時11歳。尋常小学校6年生のWeb とーちゃん。
恐らく72年の「ハーヴェスト」を先に聞いたとして13歳で、旧制中学2年でしょうか。この辺りから75年の「ズマ」までは、ソロから、CSN&Y、バファローまで遡って熱心に聞いたものでした。ちなみに、76年の初来日は武道館へ行きました。未発表だった「ライク・ア・ハリケーン」の演奏中に扇風機が廻っていたのを覚えています。あと、デカイのにビックリしたかな。

                         
   On The Beach     1974
 何故か、今はニール・ヤングというとコレをフェイバリットにしたくなるのです。というのも聞けないんですね、今は。左の画像も家にあるアナログ盤のジャケットですが、我が家にはアナログ盤の再生装置がありません。しかもこのアルバムはCD化されていないとも聞きました。(2年程前ですが)つまりヒジョーに評価が低いということになりますが。私は、結構気に入っておりました。よって、ひねくれ者であまのじゃくの私はこれがお気に入りとなるのです。

 実際、一曲目の「Walk on」や続く「See the ske about to rain」は特に良い出来でした。タイトル曲の「On the beach」はアルバムのタイトルにもなっている曲ですがネビル・シュートの核戦争を題材にしたSF小説「渚にて」がモチーフだとか当時聞いたような・・・。
そういえば、ジャケットが単なるスナップではなく、なにかロケットに見立てたようなものが突き刺さっていたりして、この辺が「らしい」ところ。

 バックは、ザ・バンドのレヴォン・ヘルムやリック・ダンゴが参加していて、なかなかタイトな演奏を聞かせました。(この後ずっと続くことになるグシャグシャレコーディングに比べれば)成功しすぎちゃった「ハーヴェスト」以降やっと出たスタジオ盤でとりあえず一安心したアルバムだったよーな。


なんか疲れてきましたー。どして、農家のHPでこんな特集するんでしょー。よく分かりませ〜ん。
が、次。



Tonight's The Night     1975 
邦題「今宵その夜」73年の録音。
全員が酔っ払って演奏して一切オーヴァーダブ無しで録音されたという。確かに粗い。それで、会社側がボツにしてOn the beach が出たということでした、確か。
結構、売れましたこれも。作品的に良い曲もありますし、ジャケットもいいし、クレージー・ホースのオーバードースで死んだダニー・ウエットンに捧げたというエピソードもリアルな雰囲気を出していました。そのダニー・ウエットンがボーカルを取っているレッツ・ゴー・ダウンタウンって曲も入っています。
ワールド・オン・ア・ストリングが良かったような覚えがあります。

下の画像は中についていたライナー・ノーツの裏写真ですが、長靴を下げたピアノに座るヤングとクレージー・ホースの面々。
といっても、スチールはベン・キース、ギターがあのニルス・ロフグレン。一時期、ロフグレンもはまったような記憶もあります。フィンガーで弾くギタリストで結構ガッツがあって上手かったす。好きなミュージシャン同士が何処かで繋がるというのもいつも驚くことのひとつでした。作品というよりも、フィーリングを個性を好むというRockならではのことかもしれません。
写真の下のほうに名前が入っているのですが、ベン、ラルフ・モリーナ、ビリー・タルボットとロフグレンが重なっていて、その右隣の誰もいないところに、この画像では文字も切れていますが、ダニー・ウエットンと書いてあります。この辺が、いつも包装紙にまで気を使うヤングならではのところですか。


 このアルバムの後、Zuma、Stills-Young Band のLong May You Run、ライク・ア・ハリケーンのAmerican Stars'n Bars と続く訳ですが、ついて行けたのはその頃まででした。時代もクロス・オーバー、フュージョンの時代になって、ニール・ヤングのでる幕はまったくありませんでしたね。(^o^)
買って全部聞かないうちに捨てたHawks & Doves なんてアルバムもありました。この時期はRock勢は悲惨でした
ストーンズぐらいでしたかグレードを保ったのは。リトル・フィートもその前だったし。マディ・ウォーターズを師としていた者が、ウェス・モンゴメリーだと言い出し、オールマンを弾いていたギター小僧達がみんなジョージ・ベンソンを習い始めた時代です。小指が使えねーとか言いつつ。二十数年前の出来事です。

 えーと、ニール・ヤングはこれ以前の「ハーヴェスト」までが、やはり一番良いと思います。そちらのご紹介はまた今度・・・。

Zuma   1975

 これは良い出来でした。Don't Cry no Tears
Danger Bird、Cortez The Killer 等、聞き物がありました。
Long May You Run  1976

 これも駄作とは云われますが、ヤングについては良いと思います。曲もいいし、スティルスと一緒だから丁寧にやっているし。
タイトル曲もいい感じです。「ミッドナイト・オン・ザ・ベイ」は良く聞きました。

American Stars'n Bars   1977

 Like A Hurricane しか記憶にありません。確か評論家がヤングのギターを「ヘタウマを突き抜けた情念のいたこ弾き」とか言っていましたがそうかもしれません(笑)
西荻窪のロフトでこれが新譜で出て始めて聞いたのですが、武道館以来始めて聞いた、正規録音版で既に Neil Young からは遠ざかっていたのですが、さすがに大音量でLike〜を聞いた時はコレダ!コレと言って隣の奴の首を絞めた記憶がございます。もちろん酔っていまいた。明け方4時頃。




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